世界で最も有名なモーターレース、モナコF1グランプリの第81回目は2024年5月24日(金)から5月26日(日)まで開催。
他では味わえないレースの興奮をぜひご体験ください。
国際的に認定
モナコ自動車クラブ会長の息子であるアントニー・ノジェスは、国際自動車クラブ公認協会(AIACR)にモナコ自動車クラブが加盟できるよう、モナコ公国の都市部でレースを開催するという想像を膨らませました。モナコの小さな領土(当時は約1.5km²)での大会の開催は、AIACRに認定してもらう条件だったのです。
エンジニアのジャック・タフと、フォッシュ元帥とペタン元帥の専属運転手だったルイ・シロンの協力を得て.....、モナコの街の真ん中にサーキットが完成!
このようなサーキットを持つ国は、世界のどこにもありません!
1929年4月14日、モナコ太公ピエールはモナコ・グランプリのディレクター、シャルル・ファルーが運転するトーピード式ヴォワザンで1周し、第1回モナコ・グランプリのサーキットの開通式を行いました。
第1回モナコ・グランプリは、「Wウィリアムズ 」として知られるイギリス人のウィリアム・グローバー=ウィリアムズが、緑色のブガッティ35 Bに乗り、平均時速80.194kmで100周を走りきって3時間56分11秒で優勝。
モナコ・グランプリはセンセーショナルなスタートを切り、毎年大きな成功を収めるようになりました。
F1の到来とモーターレースのスター達...
1937年に第9回グランプリが開催された後、第2次世界大戦の影響で大会は10年以上も中断しました。戦後の困難を乗り越えて、1948年5月16日、忘れ去られようとしていたシングルシーターのエンジン音が再びモナコの通りに響き渡りました。モナコ・グランプリは再始動し、2年後の1950年にはF1世界選手権が始まりました。その年の5月21日に第11回モナコ・グランプリを制したのはアルゼンチン人レースドライバー、ファン・マヌエル・ファンジオです。
1960年代と1970年代にはグラハム・ヒル、ジャッキー・スチュワート、ニキ・ラウダがモナコで大活躍!1980年代から1990年代にかけては、アラン・プロストとアイルトン・セナが競う、フランスVSブラジルの伝説的なF1レースの時代となりました。アイルトン・セナはモナコF1グランプリで6勝を挙げた、今でも最多優勝記録の保持者です。
ミハエル・シューマッハもモナコF1グランプリで優勝しました。「皇帝」とも呼ばれたシューマッハがモナコで圧倒的な強さを発揮するのは確実と思われたものの、ミスやトラブルが重なり、1994年から2001年まで5回優勝するに留まりました。
「モナコで優勝するのは難しい…」…
「モナコでレースするのは居間で自転車に乗るようなもの」
1981年、1983年、1987年の世界チャンピオン、ネルソン・ピケのこの印象的なコメントは、モナコF1グランプリの難しさを見事に表現しています。
3.337kmのサーキットを78周する間、シケイン、トンネル、ガードレールに挟まれた19箇所の急カーブでレーシングドライバーたちは息つく暇もありません!
サーキットの中間地点にあるフェアモント・ホテルの前のカーブでは、時速45~50kmまで減速しなくてはなりません。とても細密な操縦技術を要する箇所です。
サーキットとガードレールの間には緊急用スペースがないため、事故が起こった場合には大破した車をできるだけ早く撤去するためにクレーンを用います。モナコ自動車クラブの実行委員たちは優秀で作業のスピードは世界一と評価されているのは偶然ではありません。
モナコ出身のレーシングドライバー……
モナコ出身のドライバー、シャルル・ルクレールはモナコのサーキットのあらゆるカーブを誰よりも熟知しています。モナコ生まれの彼にとって、母国で良い成績をあげることはとても重要です。2019年からフェラーリと契約しているルクレールはルイ・シロンとオリビエ・ベレッタに続く、最高峰クラスのモーターレースに参戦するモナコ出身の3人目のレーシングドライバー。
モナコ出身ではなくても、モナコ在住のF1ドライバーも少なくありません。モナコの高級アパルトマンを出ると、グランプリのパドックはすぐそこです。ルイス・ハミルトンはモナコのサーキットとモナコ滞在が特にお気に入りです。
F1グランプリはモナコで続行
モナコ自動車クラブとフォーミュラ・ワンは2025年までモナコでF1グランプリが開催されることを決定しました。
私たちは来シーズンもモナコでF1グランプリを開催し、パートナーシップを継続できることを嬉しく思っています。F1世界選手権のために、数ヶ月にわたる交渉の末、F1との3年契約を締結したことを発表いたします。この契約は再更新される可能性もあります。
モナコ自動車クラブ会長ミシェル・ボエリ
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モナコのサーキットで次回、プリンスになるのは誰でしょうか?
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写真クレジット:
DR / Michael Alesi / ACM / Benjamin Vergély